2000年にフランスで実際に起こった未解決事件の「ヴィギエ事件」を題材にした裁判サスペンス。スザンヌ・ヴィギエが3人の子どもたちを残して姿を消した。数々の証言や疑惑により、大学教授の夫ジャックが妻殺害の容疑者となる。ジャックの無実を確信するシングルマザーのノラは、彼の無実を勝ち取るため、敏腕弁護士のデュポン=モレッティに事件の弁護を懇願する。自らアシスタントとなったノラは、事件の調査を進めていく。食い違いを見せる、刑事、ベビーシッター、スザンヌの愛人らの証言。次第にこの事件の新たな真実や疑惑が浮かび上がっていく。実在する弁護士デュポン=モレッティ役は「息子のまなざし」などで知られる名優オリビエ・グルメ、ノラ役はフランスではコメディエンヌとしても人気の高いマリナ・フォイス。
私は確信するコメント(9)
既に書き込んでいる人は、かなりの高評価だが、自分には、ちょっと難しい内容だった。フランス語に慣れてないのも理由の一つではあるが。
特に弁護士が、助けてもらってるくせに、主人公の女性に対して上からモノを言うのが腹立たしかった。
また、主人公の女性(フィクション)が、なぜ仕事や子供を犠牲にしてまで、裁判にのめりこむのかがよく理解できない。
そして主人公と弁護士が何度もぶつかるシーンがあって、なんかイライラした。
まぁ観ても損はせんかったけど、人に勧めるか、って言うと別の話。
◆フランス南西部トゥールーズで2010年に起きた、法学部教授ジャックの妻、スザンヌの失踪により、ジャックが殺害容疑で裁判にかきられた"ヴィギエ事件"を一部脚色して、ドキュメンタリータッチで、描いた作品。
今作品は10年後!(不思議に思ったので、調べたらフランス司法制度では、犯罪の多さなどの理由で、2002年に刑事訴訟法が改正されたとの事。知らなかった。)の、再審を舞台にして、描かれていく。
■印象
・一審で無罪になりながらも、世間からの誹謗中傷により、鬱になってしまったジャック。
-" 疑わしきは、被告人の優利に"の考えは、一般市民には、ないのか! 日本でも、そうであるなあ。一度、容疑者になると、あらぬ偏見が降り注ぐ現実。 -
・初動での、サビー警視の"推定有罪"且つジャックの父への、威しとしか思えない電話。
- 誘導だろう!もしくは、強制司法取引か!-
・スザンヌの愛人、デュランデのジャックを貶める為の電話の数々。
- 男のクズである。彼の法廷での表情。-
・ノラ(マリーネ・フォイス)が、何故250時間にも及ぶ、盗聴電話の分析に執念で取り組んだのか、序盤はやや違和感を感じたが、ジャックが再審で、有罪"になった際の彼の娘、クレマンスを思っての行動であろう、と解釈する。
◆白眉のシーン
・ジャックの弁護をノラの嘆願に依り、引き受けたデュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)の、最終弁論での、"推定有罪"思想になっていた検察、警察、陪審員、そして裁判官への激しい怒りのシーン。
- 流石の演技である。見応えがある。これぞ、法廷劇の醍醐味であろう。-
<今作品は、他人事ではすまない”現代社会の恐ろしさ:冤罪”を我々に突き付けて来る、法廷劇の秀作である。
だが、真相は未だ闇の中である事と、ラストに流れたテロップ”フランスでは、年間の失踪人が・・”に戦慄した作品でもある。>
裁判の傍聴席にいるみたいな臨場感で興奮した!
そして、最後の15分の最終弁論は圧巻、、、ただただ感動した。フランスにいる友人から、絶対に見逃すな、と言われたけど、まさにうなずける。私も絶対に見たほうがいいと言いたい。裁判サスペンスとしても一級品。
この映画は実話が基になっているということだが、推定有罪って日本だけかと思っていたら、フランスもおんなじようなもんかね!とびっくりしました。唯一フィクションの存在のノラ、フィクションでなければあんなに頑張らないよな、と思いつつ、想像で勝手に作り上げられる有罪は有り得ない!という強い思いがひしひしと伝わりました。彼女と被害者の関係はそんなに近くない。息子の家庭教師をしてくれているお嬢ちゃんのパパ、というだけ。でもその熱量は半端ない!
彼女と弁護士の関係も良かった。特に弁護士は、自分の空間・時間を犠牲にしたくない、法律に素人の女が!という風情ながら、実は異なり、彼女をほぼアシスタントにしちゃうし、喧嘩しつつも、粋だねーと思いました。
ノラ、偉すぎ。息子も彼氏もよく耐えた!
言葉の力が生き生きとしている法廷場面、痺れます!
被告側の弁護士モレッティと、彼を助けるノラが被告の無実と真犯人の存在を匂わせながら、非常にテンポ良くストーリーが展開していく為、法廷サスペンスらしい緊迫感が味わえる。
ただ残念ながらサスペンスと呼べるほどの〝謎〟や〝意外性〟はなく、掘り下げていくのは、膨大な通話記録のみ…
家族や仕事、全てを投げ打ってまで公判にのめり込んでいくノラの動機が、一審の陪審員であったことと、被告の娘がノラの息子の家庭教師だから…っていう無理筋なのは、事実をベースに無理やりノラの役割を作った弊害なのかなぁ…
〝事実は小説よりも奇なり〟とはいうけど、この手のジャンルは最後の終わり方次第ってのがよく分かる作品だったかな。