愛と死をみつめて

6.7/10
合計13件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   118分
言語   日本語
地区   日本
劇場で   09月19日 1964
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愛と死をみつめて プロット

大島みち子、河野実の書簡集を「越後つついし親不知」の八木保太郎が脚色「鉄火場破り」の斎藤武市が監督した青春もの。撮影もコンビの萩原憲治。

愛と死をみつめて 俳優

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愛と死をみつめてコメント(9)

smydrr
smydrr
2020年10月3日

映画 #愛と死をみつめて (1964年)鑑賞

#吉永小百合 と #浜田光夫 の黄金コンビによる純愛映画
医者が病室で患者の目の前で煙草吸ってた!

そしてこの映画は脇がすごい!
父親が #笠智衆
患者に #宇野重吉
同室が #北林谷栄 #笠置シヅ子 #ミヤコ蝶々

#広末涼子 バージョンもあったな
xvcurh
xvcurh
吉永小百合の美しさと健気さがつらくなる。ただひたすら哀しい映画だった。
Npchimdsoeak
Npchimdsoeak
3年間の400通もの文通を本にまとめたものを映画化したのが本作だそうです
だから現代人のすれた目からすれば、どうよと思うほどのベタなお話なんですが実話なんです
というか、こういうパターンお話の元祖なのでしょう

1963年の年末の出版で、翌1964年の年間ベストセラー第1位だったそうです
映画化されるわ、テレビドラマ化されるわ、レコードがでるわと一大ブームになったということです

有名な、♪マコ、甘えてばかりでごめんね~の歌は、本作でもテレビドラマ版でもなく、レコード会社単独の企画だそうです

吉永小百合が本作で歌うのは、大して記憶に残らない主題歌「愛と死のテーマ」です
しかし圧倒的にその青山和子の歌う大ヒット曲の方が、歌詞もメロディーラインも涙腺を直撃する力があり印象的です

その代わり、本作では中盤で「寒い夜」が劇中で歌われます
こちらは誰もが聴いたことがある良い曲です
歌詞も曲調も本作にマッチしていました

この曲は吉永小百合・和田弘とマヒナスターズのクレジットで1962年に発売され大ヒットした曲です
吉永小百合のデビューシングルで、その年の紅白歌合戦にも出場しています

だから、誰もが知るヒット曲を劇中の二人が普通に声を合わせて歌詞を見ながら歌うシーンとなっています

吉永小百合のヒット曲を、吉永小百合が演じる主人公が、吉永小百合のヒットであると理解して、吉永小百合当人が歌うという、ちょっと面白い趣向です

美人女優の顔を如何に美しく撮るか、それが映画の常道です
それが本作ではその主演女優の顔をまともに撮るのは数カットに過ぎません
序盤は左目に眼帯をしています
(綾波零は右目なので関連は?)
中盤になれば、顔の右側半分をガーゼで覆っています
一度はミイラのように包帯で顔が巻かれ、右目と口だけというシーンすらあります
なかなか大胆で勇気ある起用であったと思います
予告編によると吉永小百合本人の熱望によるとありました
しかし、その美人の顔が崩壊するという悲劇性が、吉永小百合が演じる事によって却って際立ち効果を上げています
終盤で父が買ってきたドレスを病室で着換えて、カーテンの陰から右半身だけ覗かせて、どう綺麗?と聞くシーンはなかなかに哀れを誘います

ミコが入院しているのは阪大附属病院です
当時はまだ中之島の近くにあったのですね
今は万博公園の北側に移転しています
屋上のシーンで見える中之島の光景からみて実際に現地ロケしているようです
建設中の阪神高速池田線が見えます

ただ病室の窓から、通天閣が見えたり、阪神百貨店やら阪急百貨店のネオンサインが見える訳が無いので、舞台が大阪であることを強調しているのだと分かっていても、土地勘のある人間は却ってここどこよと混乱していまいました

そう言えばこの病院が白い巨塔の舞台となります
映画「白い巨塔」は1966年公開、その原作小説は本作公開の1964年9月の時点では週刊誌に連載中でした
ちょっと面白い関連性です

遠距離恋愛だけでも、花火のように燃え上がるものです
メールもない時代、文通での手書きのやりとりは更に燃え上がるものかも知れません
3年間に400通の文通
つまり2~3日に1通という猛烈な頻度です

当時の事ですから、東京大阪間の長距離電話は3分でも数百円はしたろうと思います
貨幣価値が5倍は違うでしょうから、今の私達からするとあの電話1回で1万円くらい使っているというシーンです
それくらいの愛の熱量があった物語であるということです
しかも美人の顔半分が崩壊し、やがて死に至る病であるのだから、その苦悩は計り知れません

正に愛と死を見つめてという内容でした
Cldebsinlo
Cldebsinlo
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5年前から軟骨肉腫という難病に冒されていた道子。自殺未遂、手術をすると顔の左半分がつぶれてなくなると言う事実。手術を受けると心に決めて、「2年待つ間に自分のことを忘れることを願う」という悲しい願いに泣いてしまった。その他、泣き所が多すぎます。

電話越しに「禁じられた遊び」を聞かせる誠と、病院の廊下で涙を流しながらそれを聞く道子。このシーンが忘れられなくなりそうだ。難病ものの作品の原点とも言えるような映画だが、実話なのだから尚悲しい。まこ、甘えてばかりでごめんね・・・
dkertrz
dkertrz
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小生は、「愛と死をみつめて」は、①この1964.9月版と、②2006.3月版を観た。
書籍は、③愛と死をみつめてと、④若きいのちの日記、を読んだ。
書籍2冊を実話とし、それらを交えて、この映画の感想を述べてみます。

1.この1964年版は、仮名が多く、白黒なのは少し残念だが、
①年齢がピッタリ
(吉永小百合:1945.3生=19才、 浜田光夫:1943.10生=20才)
②相思相愛が感じられて良い。
→ミコは「無理かも」と思いつつ、マコとの結婚を夢見てる手紙多数あり
→①心の夫マコへ、②最愛のマコ、③心の妻ミコより、等の文言が
手紙の末文や日記に多数あり

2006年版は、実名が多く、カラーなのは良いが、
①実際のミコ・マコとの年齢差が大きい
(広末涼子:1980.7生=25才、 草彅剛:1974.7生=31才)
②ミコ役の広末から、マコへの愛情が少なく感じる。
→ 若くて死ぬのは可愛そうなので、泣ける映画ではあるが。
③2006年版の主役はマコ(草彅剛) → 少し残念

2.この1964年版の映画は1960.7.8~1963.8.7迄であるが、
1962.10.17にミコが手術を受ける同意をした時のマコの活躍が凄い。
(手術の成功率15~30%程度、左目を取り、顔の左半分傷つける)

それまで、担当医・両親が説得しても手術に同意しなかったミコ。
マコが上阪して対話。 翌日、マコ・父親・担当医の3人が
ミコを交えて対話、それでミコは手術に同意した。
10.20の日記=「もうマコの愛情なしでは生きていけない」の記述あり

3.マコからの手紙や電話や面会は、ミコの生きる力であり、
2人の交際は、医者・看護婦・両親・兄・妹2人が認める仲であった。
看護婦達も、ミコが手紙を楽しみにしているので、
「ラブレターよ」等、言って持ってきた。
個室だった時の、1962.10.16~21は、マコはミコの病室で宿泊してる。
通常、病院は、女の病室に親類以外の男の宿泊など許可しない。
マコには、許可された。 婚約者以上、内縁関係に近い。
→ 後日、ミコの手紙の数回に「10月の6日間は楽しかった」等の記述あり

1963.3.27、マコが上阪。(3.28帰京予定が、1日延期、3.29帰京となった)
3.28のミコの日記 →「夜、もう1日いるよう泣き落し戦術。みごと成功」
「次は5月の連休に来る」と言うので、3.30の手紙に、
「早く5月が来ればいい、4月はいらない」等書いてる。

ミコは、マコが5月に来るのを楽しみにしてたが、
実際は、5月は延期、6月も延期、次の上阪は、7.18だった。

4.小生は、本を読むまでは、親類でもない単なる文通の恋人程度の者が、
両親と一緒に医者から病状を聞くなど、「変だな」と思っていたが、
本を読んで認識が変わった。 → 本を読んで良かった。

5.手術は、11月2日に実施した。 手術後初の手紙は、11.8日

6.父親の後記:手術後、ガーゼの詰まった口で声も出ず、
左手のしぐさはメモを求めていた。 鉛筆を握らせると字を書くが読めない。
「何と書いたのか」と問うと、涙をため悔しがった。
何回も試みて読める様になった。 河野君へ送れと言う(意志表示)。
寝返りも出来ない状態、等の記述。

7.病院の外に、健康な日を3日下さい。
1日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。 母と台所に立ちたい、等
2日目、私は、マコの所へ飛んで行きたい。 部屋掃除してあげたい、等
3日目、私は、1人ぽっちで思い出と遊びます。 そして静かに1日が過ぎたら、
3日間の健康ありがとうと笑って永遠の眠りにつくでしょう。
→ これは、1963.4.10のミコの日記

8.また、1963.4.20のミコの手紙に、
1度でいいからデートの打ち合わせがしたいですね。
3年前(1960.7.8~7.22)、その気になれば、
いくらでも遊びに行けたのに、写真も一緒に撮らなかった、の記述
→ 可哀そうだな。 勿体ないなあ。

9.なお、歌詞の1番「はかない命と知った日に・・・ 涙を拭いてくれたマコ」は、
1962.10月に会った時のこと → 手紙や電話では、涙を拭けない。
歌詞の2番「ふたりで夢見た信濃路を 背負って歩くと言ったマコ」は、
1963.5.1~9日頃の手紙にも記述あるが、「言った」なので、電話だな。
→ 電話も、手紙と同じく何度もしてる。
歌詞の3番は、1963.7.30~8.03にマコが見舞に行った時の事だな。
あれほど元気だったミコが、「マコ、元気になれず、ごめんね」
を繰り返し言ってた、とのこと。

10.母親の後記:1963.8.7、朝7時の検温にも異状なく、手持ちぶたさの私は、
眠り続ける娘の顔ばかり覗き込んで時を過ごしました。
11:20、振り絞るような声で「おかあちゃん」とかすかに呼ぶ声に
振り向くと、わずかに唇がびくびくと動いておりました。
「ああ、のどがかわいたのね」と言ってガーゼを湿しに行って
引き返しますと、はや、息を引き取っておりました。

11.放映時間や個人情報の関係で、仮名にしたり、設定を変えているのだろうが、
この映画は、良い映画だと思う。 2人の心情が伝わってくる。
吉永小百合と、浜田光夫の演技が素晴らしい。

泣けて、泣けて、泣けて。 可愛そうで、5日位、頭から離れなかった。

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