ふたりのベロニカ プロット

同じ日の同じ時刻に生まれ、同じ名前と顔を持つ2人の女性がいた。ポーランドとパリに住む2人のベロニカはそれぞれの人生を送りながらも、お互いの存在を感じていた。監督は、「トリコロール」三部作で知られるポーランドの巨匠クシシュトフ・キエシロフスキー。本作で2人のベロニカを演じた主演のイレーヌ・ジャコブは、91年カンヌ映画祭主演女優賞を受賞した。

ふたりのベロニカ 俳優

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ふたりのベロニカコメント(4)

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普通の作家だと、何とか二人を引き合わせて互いの運命を見つめるような設定にするのかもしれない。この映画ではストーリーには重点を置かず、叙情的な映像だけで攻めてくる。

最初は混乱してしまうが、ポーランドではポーランド語。フランスではフランス語を使い分けていて、切り替えしを多用するわけでもない。ましてやポーランドのベロニカは突然死の家系なので、コンサートのソプラノ独唱中に死んでしまうのだ。葬式で土中に土をかぶせられるシーンでポーランド編が終わるが、突如として始まるフランスシーンではまるで生まれ変わりのようにベロニカが輝くのです。

そのフランスのベロニカが人形劇を観て以来、人形師とのロマンスへ向かうストーリーも独創的。最初からクリスタルなどの小物のクローズアップにより幻想的には描いていたけど、このロマンスからはその事実自体が幻想的なのです。

人形劇から数日後、差出人不明で送られてきたテープを聞くと、駅のアナウンスや爆発音が入っていて、それを独自に調べるシークエンス。これが特に印象的。自分と同じ人間がいると信じるところは霊能力を絡めているようで、それほどでもないけど、イレーヌ・ジャコブから発散される神秘的な魔法には変わりない。エロチックなだけじゃないんだ・・・すごいぞこの女優。といった感じ。
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クラクフとパリ、生き写しの二人の女性がそれぞれの人生を歩む。
20年前にVHSで観たときの記憶を辿ると、クラクフのベロニカは優しくて大人しい娘なのに対して、パリのベロニカは要領よく男をものにする賢い娘であまり好感のもてるキャラクターではなかったように思う。
記憶など曖昧なもので、20年も経つと自分の意識の中でひどく作り替えられていくものだ。観たという事実そのものを忘れてしまう忘却よりもたちが悪い。
今回再鑑賞し、パリのベロニカだっていい子であることを認識。確かに、最後に好きな男の子と結ばれるのはパリのほうだけれども、別にズルいことをしているわけではない。何をどう解釈した残滓が、記憶の中のベロニカをズルい女に仕立て上げてしまったのだろうか。
20代半ばの私にとって、パリのベロニカはよほど器用な少女に見えたのだろう。今回見惚れてしまったイレーヌ・ジャコブの小さくて可愛いおっぱいのことなどほとんど記憶にないのだから、中年になった自分の視点の変化をつくづくと思い知らされる。
若い頃の自分は、短い一生を終えたクラクフのベロニカに同情し、生と性を謳歌するパリのベロニカには嫉妬のようなものを感じた。その自分も年月を経て中年のじじいとなり、女優の若く瑞々しい身体こそが最も印象に残るという物悲しさ。
ある作品を、ある年代の視点で鑑賞するのと同じようには、年月が経ってしまったときに再鑑賞することは出来ないものである。今自分が観ている映画は、今この瞬間にしか生成しない現象なのだということを、ほろ苦い気付きとともに考えさせられた。
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不思議な魅力を秘めた作品
主演のイレーヌ・ジャコブの魅力は無論のこと
美しい映像、空気感、音楽
それらが一体となった雰囲気があっという間に観るものを虜にしてしまう力を持っている

理屈ではない何か
別の場所で別の人生を歩むもう一人の自分
この場所で流されるままのこの自分
満たされない心
それはもう一人の人生を感じているからのか
ならばその片方を失った時にその空虚をどのように埋めたら良いのか
選ばれないのはなぜ?
彼が自分を選んだのはなぜ
理屈はない
感じるまま情熱が心を駆動させるのだ

サンラザール駅のカフェを突き止める情熱
そこで48時間を待つ情熱
選ばれた喜びと求められる不安で衝動的に逃げだす
しかし結局は追い付かれ見つけられるように期待をしてホテルの部屋をとる

熱い青春を甦らせる素晴らしいクライマックスであった
何故かはわからない求め求められる情熱が切り取られている

それは神の手に操られた人形劇だったのかも知れない

恋を忘れかけた時にこそ観るべき映画だ
恋の衝動と情熱の熱さを思い出させてくれるだろう
wmfcczd
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なぜ、ドッペルゲンガーって会うと死ぬのだろうか。この伝承を初めて知った時、まったく意味不明でした。
改めて考えて見ると、今までの自分が死に新しい自分になる、鏡の中の自分(影とか理想の自分とか)がひとつにまとまっていくといった、死と再生、統合のイメージがあるのかな、なんて考えています。

ふたりのベロニカはドッペルゲンガーの奇譚です。ポーランドのベロニカは音楽をやって恋人もいるリア充で生き生きしてましたが、フランスのベロニカというドッペルゲンガーを見て死にました。
その後、やや主体的に生きていなかったように見えたフランスのベロニカは、ふたりのベロニカをつなぐような人形劇を見て、もうひとりの自分の死を直観し、人形使いに恋をして、積極的に生き始めたように見えました。
そう考えると、ベロニカというひとりの人間の死と再生を表現した幻想物語だった、とも考えられるかもしれません。

しかし、そのような考察はヤボだと思っていまして、
(本作を考察するには、映画の教養含めて多くの知識が必要な印象を受け、自分のレベルではキャッチしきれていないと判断)
この映画からは美しさや儚さ、えも言われぬ悲しみが感じられるので、それを味わえば良いのでは、なんて考えてます。
セピアがかった映像、荘厳な音楽、人形使いの動きなどの極めて繊細な演出、多くを語らぬ脚本、そして主演のイレーヌ・ジャコブの絶世の美女ぶり。それらがブレンドされて、息を飲むような美しい映画となっています。