ある画家の数奇な運命 プロット

長編監督デビュー作「善き人のためのソナタ」でアカデミー外国語映画賞を受賞したフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が、現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターをモデルに、ドイツの激動の時代を生きた芸術家の半生を描いた人間ドラマ。ナチ党政権下のドイツ。

叔母の影響で幼い頃から芸術に親しむ日々を送っていたクルトは、終戦後に東ドイツの美術学校に進学し、エリーと恋に落ちる。エリーの父親は、精神のバランスを崩して強制入院し、安楽死政策によって命を奪われた叔母を死に追いやったナチ党の元高官だった。しかし、誰もそのことに気づかぬまま、2人は結婚する。やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、エリーと⻄ドイツへ逃亡し、創作に没頭するが……。

主人公クルト役を「コーヒーをめぐる冒険」のトム・シリングが演じた。2018年・第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。第91回アカデミー賞では外国語映画賞と撮影賞にノミネートされた。

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ある画家の数奇な運命コメント(5)

luzkme
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美術の世界に疎く、現代美術の巨匠と評されるゲルハルト・リヒターのこともほとんど知らなかったが、リヒターの叔母がナチスの障害者安楽死政策で命を奪われたこと、妻の父親がナチ高官で安楽死政策の加害者だったことは事実だという。なるほど“数奇な運命”だが、ドナースマルク監督はリヒター本人に取材し映画化権を取りつける際、「映画の中で何が真実で何が創作かを明かさない」との条件をつけられたとか。3時間超の長尺に、ナチスの戦争犯罪とその犠牲者、東西ドイツ分断期の世相、新たな表現を追求する芸術家の生きざまなど多くが詰め込まれたが、“何が真実か”を観客に委ねる本作は、大局的に見るとドナースマルクの映画制作を介したリヒターの芸術表現の一環なのではという妄想さえ抱かせる。

クルト役のトム・シリングと、叔母役のザスキア・ローゼンダールは良かったが、妻エリーを演じた女優がやや魅力不足なのが惜しい。
enxsla
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ルハルト リヒターという美術界で、「ドイツの最高峰の画家」といわれている画家の半生。88歳。現存する作家のなかで世界で最も注目されている現代画家と言われて、日本でも人気が高い。

リヒターは、ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、敗戦で生まれた土地が完璧に破壊される過程を目撃し、ロシア軍の進駐によって再建された芸術大学で学んだ。優秀な画家の卵は、やがて自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前に西ドイツに逃れ,前衛作家として成功する。文字通り激動の時代のドイツを生きた画家だ。

現代美術の旗手で、抽象画、シュールリアリズム、フォトリアリズム、ハイパーナチュラリズム、などの作風をとり、油絵だけでなく彫刻、ガラス作品など製作している。初期の作品群であるフォトペインテイングは、写真を大きくキャンバスに模写し、画面全体をぼかして、さらに人物などを描きこんでいくという独特の作風だ。また、モザイクのように256もの色を並べた「カラーチャート」、キャンバス全体を灰色に塗りこめた「グレーペインテイング」、様々な色を織り込んだ「アブストラクト ペインテイング」、ガラスをたくさん並べ周囲の風景を映すガラス作品、5千枚以上の写生や写真からなるパネルを並べた「アトラス」などが代表作で、いまは油絵からエナメルや印刷技術を用いた作品制作している。また「線」を描かずに、先に鉛筆をつけた電気ドリルを使って絵描く方法を取っていたりする。

2002年にリヒターは、ドイツのケルン大聖堂のステンドグラスを製作依頼され、113メートル四方の聖堂の南回廊を、72色のステンドグラスではめ込んで、これを2007年に完成させた。リヒター本人はこの仕事でいっさい報酬を受け取っていないが、長い年月と506000ドルという法外な費用がかかたため沢山の人の寄付を仰がなければならず、完成後、ケルン市長は余程機嫌を悪くしたらしく、こんな作品はカトリック教会でなくモスクとかほかの宗教に似合ってるんじゃないか、とコメントしている。ケルン聖堂は、世界最大のゴチック聖堂で人気が高いので、ヨーロッパ旅行者が必ず訪れるところでもある。

日本では瀬戸内海の無人島の豊島にリヒターの「14枚のガラス」が展示されている。全長8メートル、縦190センチ横180センチの14枚のガラスがハの字を描くように少しずつ角度を変えて立ち並んでいる。2011年に島を訪れたリヒターが、この静かな海に囲まれた土地が気に入って作品を恒久展示することに決めた。作品を収める箱形の建物も彼がデザインして製作したそうだ。
2012年オークションで、エリッククラプトンが所有するリヒターの抽象画「アブストラクテルスビルト」が26憶9千万円で落札、翌年には別の作品が29憶3千万円で取引されて、生存する画家の作品として史上最高額を記録したという。

映画監督、フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルクは、この映画を作るにあたって数週間、リヒターとの対話をテープに取り、話し合いの末、映画を製作した。だがいざ映画が完成してみると、本人リヒターは、自分は伝記なんか作ってもらいたくない、映画を見る気もないし、全く興味もない。映画がリヒターの伝記だなんて言ってもらいたくない、と主張。そういうわけで、この映画の解説にリヒターのリの字も出てこない。ただ映画の紹介に、現実の画家にインスパイヤ―されて製作した、と記述されているだけだ。
一人の画家の成長の物語として素晴らしく、画面の美しさも映画作品として完成度が非常に高い芸術作品。3時間の長編映画だがまったく飽きない。2018年代75回ベニス国際映画祭で、金獅子賞候補作。映画祭で13分間スタンデイングオベーションで拍手が収まらなかったと報じられた。ゴールデングローブ、91回アカデミー賞でも最高外国語作品賞候補となった。

ストーリーは、
1937年、ナチ政権下のドレスデン。
5歳のカートは美しい伯母に連れられて美術館に行く。ユーゲン ホフマン(EUGEN HOFFMANN 1892-1955)の彫刻「青い髪の少女」に、魅入られたカートに向かって、叔母は、これらの作品がどんなに美しいか、一つ一つを見逃さないようにじっくり観るように言う。 ナチの美術館案内人は、これらホフマンなどの前衛芸術は、退廃的で社会的ではない、と批判的だが、叔母はそういった表面的な解説をまったく意に介さない。美しいものに純粋に身をゆだねるように生きる叔母は、カートの一番の理解者だったが、やがて精神分裂症と診断されて、ナチの病院に連行されシーバンド医師により去勢手術を強制され、その後ガス室に送られて殺される。

戦争が終わり、街の小学校の校長先生だったカートの父親は、進駐してきたロシア軍によって、ナチ政権に与したものとされて、小学校の掃除夫を命ぜられる。ナチ信奉者は、ユダヤ人ばかりでなくドイツ人の精神病者や身体障害者を沢山処分した。カートの叔母をガス室に送ったシーバンド医師は、犯罪人として刑務所に入れられる。しかし、刑務所のなかでロシア人将校の妻の出産を助けたことで、将校に母児の命の恩人として扱われ、釈放されてシーバンド医師が犯した罪に関する書類は、すべて廃棄される。
カートはドレスデン芸術大学で絵画を学ぶ学生となり、同じ大学でデザインを学ぶ、エリという美しい学生と出会う。彼女は熱烈なナチ信奉者だったシーバンド医師の一人娘だった。シーバンド医師は娘が可愛いので、カートとの関係を認めない。娘が妊娠しても自分のところに引き留めるために娘に妊娠中絶を強制する。やがてシーバンド医師を釈放し保護してくれたロシア人将校が帰国することになったのを機会に、シーバンド一家は西ドイツに逃れる。カートも東ドイツの社会主義的な芸術感に堪えられず、自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前の緊迫する国境を越え、西ドイツに逃れる。

西独に移り、ドッセルドウ芸術大学に入り、教師だったジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921-1986)から現代絵画を学ぶ。才能を認められるが、本人は自分の表現に苦しむ。30歳を過ぎても社会人として働くでもなく絵が売れるでもなく、自分のスタイルができるわけでもなく、表現することに四苦八苦していたが、彼の義父シーバンド医師が戦争犯罪で、いつ逮捕、追及されるかわからない恐怖にかられる姿をみて、彼の写真をキャンバスに模写して、その上に人物を重ねて描くフォトリアリズム手法を考え付く。それを機に、カートは新聞や写真をキャンバスに模写して絵を重ねるハイパーナチュラリズム、フォトリアルといった自分のスタイルを見つけていく。

幼い時から美意識の高い伯母から、NEVER LOOK AWAY 見過さないで芸術作品から目をそらさずによく見てよく観察しなさい、と言いきかされていた少年が、成長と共に画家となり、観察するだけでなく自分で作り出し、人に伝えようとして、表現者としてもがき苦しむ姿が描かれている。
若く瑞々しい美少年と、美しい伯母、叔母にそっくりな姿の可憐で美しい妻。一人の画家が成長していく姿が良く描かれている。背景も自然描写も秀逸。3時間が少しも長くない。いつまでも美しい画面を見ていたくなる。
カートは、30歳すぎても妻の裕福な父親シーバンド医師に食べさせてもらって画学生を続けているから、義父に皮肉を言われる。 「レンブラントは30歳で数えきれないほどの弟子をもっていた。モーツアルトなんか30歳といえばもう死んでいた。」そんなふうに、画家の生活力のなさを非難されても、カートは何一つ言葉を返せない。それでもひたすらキャンバスに向かうカートの姿は胸を打つ。

リヒターの芸術大学の教師だったジョセフ ベイスが、絵に取り付かれた魔物みたいに、映画でもものすごく魅力的に描かれている。教室で古典派の画家の写真をキャンバスに立て、それに火をつけて燃やしながら、呆気に取られている学生達を前に、講義を始める。本物を見つけろ、とリヒターを激励するために、いつも被っている帽子を取って、自分が死にかけてタタール人に救われた爆撃機事故のときの頭のひどい傷を見せたりする。映画には出てこないエピソードだが、1974年彼はアメリカに招待されたとき、「コヨーテ私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」という作品を展示した。それはニューヨークの画廊で、1週間フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中に籠ってアメリカ先住民の聖なる動物コヨーテとともにじゃれあったり、にらみ合ったりして無言の対話を続けるといった展示だった。

リヒターを演じた役者も絵を描く人だと思う。おおきな刷毛で床に置いたキャンバスに、何度も大きな円を描いてみせる。彼がキャンバスに描かれた本当の写真みたいに模写された油絵を、板で強くなぞってぼかしていく。絵がぼやけるに従って過去の写真が、心に映った本当の過去の姿になぞられていく。魔法をみるようだ。
一心に絵を描く人の姿は、美しい。5歳の少年を前にして素裸でピアノを弾く美しい伯母、何台ものバスの運転手に頼んで力いっぱい警笛を鳴らしてもらって、その音の渦に身を浸す美しい伯母が美しい。ガス室で死んでいった叔母が、一番の芸術家だったのかもしれない。
とても良い映画だ。

投稿者 DOGLOVER AKIKO 時刻: 1:07
wftqmw
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Don't look away. Never look away, Kurt.
Everything that's true is beautiful.
People look for the Secret Code, for the Theory of Everything.
クルトが叔母のリズと手を繋いでいった現代美術展..
"Don't tell anybody, but I like it." なんて叔母は、彼に子供のようにつぶやくように... (ナチスにとっての異端的絵画。ワシリー・カンディンスキー:抽象絵画の創始者の芸術に対して)

現代美術がナチス政権下のドイツでは、好き嫌いが激しく、しばしば醜い真実を暴露し、取るに足らない、ただ人を出し抜くだけの遊び事だと... また、熟練していない退廃的で贅沢なものであり、ドイツ兵士からすると怒りの矛先となり、税金の無駄遣いとまで見なされていた。
この叔母とクルトとのワン・シーンは、ナチス党が1937年に実際にドレスデンで開催した悪名高い展覧会であり、当時の現代芸術を"退化芸術"とも"退廃芸術"(degenerate art)とも言わしめ、ドイツ文化の崩壊を招くと非難された作品群として公に晒しものにされている。退廃芸術展は表現の場としてではなく、ドイツの遺産と感情を美化し浄化するためのモノ又は、場となってしまっている。

このシナリオのアートの意味と目的は映画の中ではナショナリズム、共産主義、資本主義などのいかなる過酷なイデオロギーの下でも調和をし何度も変化し続ける不偏なもの。これらの時代の変化に対する普遍性は、映画の中心的なテーマの1つになっている。それを実在の人物とは言ってはいるものの、架空のクルトの目を通して我々に子供に対して噛み砕いて説明するようにプロット展開をしている。

I would suggest Pablo Picasso as a cautionary example. He created
powerful realistic pictures that demonstrate genuine solidarity with
the working classes. But he soon slipped into a decadent, obscene
formalism. Why? Because he wanted to be seen as an innovator, not
a traditionalist. Artistic freedom.
ナチスは自分達の政治・思想の世界観に合わない現代芸術を非難したが、共産主義である旧東ドイツでは社会主義リアリズムだけが唯一の受け入れ可能な芸術形態であり、ピカソの作品を例えば「退廃的」と「非民主的」であると非難している。
ここに出てくる東ドイツのアート・スクールでは、パブロ・ピカソの "come of age" 直後から始まる "青の時代" と呼ばれた悲しみのスタイルで描かれた作品の中の一つ、 “Beggar Old Man with a Boy(1903)” を講義で取り上げている。悲しみ、精神的な憂鬱とそれに呼応する反語として、いつくしみの色を何故、講義で取り上げたのか? その事は、先日鑑賞をした映画「Papa, sdokhni (2018)」の色調で例えられる... 映画では真紅と緑を基調とした色を映画全体に施され、美術監督の才がうかがえるものとなっていた。ここ「ある画家・・・」では、青と濃紺が、例えば、SS(ナチス親衛隊)が集まる会議では、濃紺のベルベットを彷彿させるようなSS隊員の制服であり、彼らが机を囲み二列に並ぶシンメトリーさは、芸術的意味合いも挙げれるほど映像自体が美術性にとんだものとなっている。その事が、緑豊かな自然を描いている場面でも何故か個人的には映像が青みがかって見えてしまう。だからといって、嫌な感じはせずに、どちらかと言うと心地よいともいえる。

There is only limited space and resource on this planet. Who should
get it? The sick or the healthy?
人の死を一つの芸術性の高揚を目指すあまり、オーバー・アクションのやり過ぎ感が否めず、それでも見ている方としては、涙が自然と流れる... ”I like you.” と、ごくありふれた言葉なのに素直には面と向かって言えない言葉... 劣性というレッテルを張られただけで彼女たちは”I like you.” という遺言をガスチェンバーで残す。

Only in art, freedom is not an illusion....
If you aren't free... completely free, then nobody else will be. By
making yourselves free, you are liberating the world. You are
priests. You are revolutionaries. You are liberators. Make your
burnt offerings!
-真実はすべて美しい-

Everything could be an illusion, a trick, his imagination. But
then he realized that something was thinking those thoughts.
So consequently, something must exist. And that something,
he decided to call "myself." But who are you? What are you?
This is not you.
"条件が一つある。私に質問はよしてくれ。" と明らかに生徒と距離を置く西独の美術学校のフェルテン教授。彼がクルトが寝る間を惜しんで製作した作品を否定した時、妻エリー以外で唯一彼の理解者と分かり、教授の美に対する揺るぎない思いが否が応でも心が熱くなってしまう。

Painting is dead. Just like folk dancing and lace-making and silent
movies. I only want what's best for you, or I'd just let you carry on.
It's too late for us to become doctors now.
ディベロップメントに関しては、見ている側とすれば、単純に言えば、良い事と悪い事... 正と負が同時進行であったり、表裏一体であったり、パラドックス風であったりと両極端なシーケンスを同時に見せるように進み、シナリオ自体は、非常に面白く、しかも分かり易く、映像もそれに伴う様に紺色を基調とした美しく描かれているので、戦前、戦中、戦後を描いた叙事詩と言われるのも納得ができるものとなっているけど、それでもクルトと義理の父親であるカール・ゼーバント教授との関係性が今一つピンと来ない、個人的にはその事が、わだかまりとなってしまっていて、映画の面白さが半減している。この映画に関しては、あくまでも私的には歴史的叙事詩というよりは、モダニズムの芸術家による何処にでもあるようなありふれた三文芝居の古臭いメロドラマとしか映ってはいない。 失礼ファンの方

It doesn't really matter to me who I paint....
Only reality is coherent. Each reality is coherent. All that is true is
beautiful.
What do you mean by that?
Now when I call six numbers, then that's stupid, pointless. But if
the six numbers are the winning lottery numbers, then they mean
something, a polyphony, a value, almost a beauty. It's the same
with the photos. I want the truth.
ドナースマルク監督は、アーティストの成功だけでなく、彼の人生のドラマのためにもリヒターの物語を選んだと語っている。映画作りに駆り立てたものは何か? の質問に.. 「人間の創造性についての映画を作ろうとしていました。私はいつも、人生と私たち全員に起こっているすべての恐ろしいことを見る前向きな方法を見つけるのに苦労しています。アートはその挑戦に役立つと思います。アートがとても楽しいと思う理由の1つは、それが素晴らしい映画であれ、素晴らしい絵画であれ、人生は生きる価値があることを示しているからです。」と... しかし
伝えられるところによると、リヒター本人は、悪名がつくほど寡黙な画家であり、彼の自伝として、彼の詳細でデリケートなところを映画に記され、しかもリヒターと特定できる重要な部分をただ匿名にしただけでは、彼のアイデンティティを隠すのに真剣に取り組んでいないのは、映画関係者がなおざりにしたとリヒターは、怒りと憤りを公言している。大げさかもしれないけれど彼リヒターからすると映画自体が倫理や道徳のボーダー・ラインに抵触気味ととられても仕方がないと思われる。当事者のリヒターが、まだ存命であるということも付け加える必要がある。

Leptosomic, melancholic, son of a man who kills himself because he
had to clean up a few stairs. My father would've called a man like that
a "dead loss. " This is not the genetic material I want for our
descendants. We have to prevent it. After 30 years as a gynecologist
I can tell you one thing. An abortion has been known to end almost
any dalliance.
"死の天使" と呼ばれたヨーゼフ・メンゲレ... 医師、ナチス親衛隊 (SS) 将校。 彼の事は知っていても1985年までは、彼の師匠であるオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー博士はその存在すら知られていなかった。近年ではテレビでも取り上げられいるが... "断種計画の主唱者" の顔を持ち生涯を研究に打ち込み称賛の中でこの世を去った人。
メンゲレナチス親衛隊大尉がカール・ゼーバント教授とも、いかなる科学者と称する悪魔にも姿カタチを変え、永遠に生き続けるのか?
gqznpv
gqznpv
ネタバレ! クリックして本文を読む
物語はクルトの幼少期から始まりはじめは彼の家族の描写から始まる。
若くして叔母は不必要な人間と政府に判断され殺され、父も自殺をする。空襲で他の家族も失う。
クルトは学生になりエリーと出会い恋に落ちる。そのエリーの父親が叔母を殺した元高官である事は観客側にはすぐ伝わりこの後何が起きるのか、伏線を張られてるような展開に緊張感が高まる。

この辺りまでは面白く鑑賞できたのだがそこからの展開に残念ながら僕はあまり興味を唆られる事はなかった。

模写から真実に近づいていくシーンなんかも一瞬は興味を惹きつけれるのだがその後の表現が非常に感性的であり残念ながら僕の感性が未熟であり作品の理解に追いつくことができなかった。

最後はエリーは再度妊娠をしハッピーエンドで終わったクルト。

今回は少し中盤から興味を失ってしまったが個人的にはまた機会があればといった作品ではあった。

話は作品とはそれるが3時間作品ということもあり体は疲れた。上映している劇場も箱が小さいところが多く疲労感を感じた。
yqcvotr
yqcvotr
この映画で心に残ったことが主に二つある。

一つ目は、トム シリングが演じる主役カート。
そのおばさんである芸術肌なエリザベスの言葉でこの映画の題でもある目をそらすな!見ているのはありのままでそれが美しいというような物の考え方に共感した。それが困難なことで目を背けたくなるようなことでも、心を入れ直視せよということだと思う。そこから芸術が生まれてくるとでも言いたいようだと思う。

結局カートは自分が見つめた経験、心の中のことを直視したことを絵で表現したことによりマスコミに注目される。彼は自分の心の中を描いた作品を説明したけど彼とメディアとの理解は違うものであった。

もう一つはカートのおばさんエリザベスはナチの優生学の断種法のもたらした結果の被害者となった
エリザベスを精神の病気統合失調症として扱いガスチェンバーに送って殺してしまう。これに診断を下した医者がカートが成長した後に、愛した女性ポーラ ベアーが演じるエリザベス(エリー)の父親だ。この父親はカートを劣勢として扱い 、一家の優秀で気高い純潔を守るためエリーを卑怯な手段を使って堕胎したりもう子供をみごもらさないようする。
二人はベルリンの壁ができる前に西側に移つる。

ナチ崩壊後主犯格の医者はロシア側に犯罪者として拘束されて、エリーの父にもこの手が伸びてくる。悪名高いナチス優生政策が葬られていく

歴史上では、この断種法により、ドイツの精神的肉体的障害者が無残に一掃されてしまう。ナチの鋼鉄のような精神と規律がその後のドイツを作っていくが、その反面、ユダヤ人を救ったりしたヒューマニストもドイツを支えていく。

日本は戦後すぐに優生保護法が制定された。ある側面ではこの優生保護法の歴史が現在も身障者との共存を阻む原因にもなっていると思う。