ロスト・イン・スペース
プロット
アメリカ
12月12日 1998 劇場で
ロスト・イン・ラ・マンチャ
プロット
アメリカ・イギリス合作
05月10日 2003 劇場で
ロスト・チルドレン
プロット
フランス・スペイン合作
04月06日 1996 劇場で
ロスト・ソウルズ
プロット
アメリカ
06月02日 2001 劇場で
ロスト・ワールド
プロット
アメリカ
08月05日 1925 劇場で
ロスト・フロア
プロット
スペイン・アルゼンチン合作
01月24日 2015 劇場で
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ロスト・イン・トランスレーションコメント(20)
興味があったわけでもなく好きで来たわけでもない東京で、寂しさと虚しさを抱えたまま異文化に馴染めず戸惑いながら過ごしながらも、お互いに何かを感じた男女を描く。話題になったのが記憶に残っていたから数年前の作品かと思っていたらもう14年も前の作品だった。
誇張された日本が時々登場して日本人としてはしらける部分も多々あるが、外国人から見た彼らと異なる日本への印象という点ではそんなものなのだろう。そもそも日本について何も知らない彼らが所用があって滞在しているだけなのだから、異文化を理解しようとか楽しもうとする動機づけが最初から登場人物には弱いし、予想と異なり文化の違いを浮き彫りにすることが映画の目的でもないようだ。家族から離れて知らない町で何をすればよいかもわからないまま放り出された孤独さが異文化の中で強調され、そんな共通点を持つ2人が出会って共感を感じたことを描いている。
はっきりとした物語の流れがあるのではなく、映画は共通点を感じた2人のちょっとした交流と心情を日常の生活の中に散りばめて表現する。視聴者はその彼らの間接的な心の動きと感情を読み取る。そんな作品の意図はわかるし、ある意味での面白みはあった。
でも同時に退屈さとしらけた退廃的な雰囲気を感じて、それらはある程度は作品中の登場人物たちが感じたのと同じような感情にも感化されて、観ていて楽しいものではなかった。物語がはっきりせず動きが少ないのも、登場人物が努力をしているように見えず好感を持てないのも高く評価出来ない。
退廃的という点では雰囲気が『甘い生活』に似ているとずっと思いながら観ていたら、作品中のホテルの部屋でその甘い生活がテレビで放送されていて「マルチェロ」と呼んでいる科白があったので、製作者としてもやはり意識していたのだとわかった。スカーレットヨハンソンの美しさと、彷徨いながら我が道を探そうとする姿が映画では一番印象に残った。でも自分の進む道を失ったまま流され続けた甘い生活に出てきたマルチェロと彼女が重なる部分がある。東京に迷ったのではなく、彼らは自分たちが迷っていた、それを言葉の通じない異文化の東京に来たことで見つめなおし気づかされたのだ。
海外から見た日本アルアル的なジョークが散りばめられる。好きなのはしゃぶしゃぶのくだり。確かに違いが分からない。倦怠期ジョークも秀逸。
全く感想が変わってくると思う。
ソフィアコッポラが表現したかった"孤独感"。
私たちには分からない。
というより、それが常。
トウキョーは孤独と共にある。
それになれている我々は
あの映画で改めて孤独に気づくことは出来ないのかもしれない。
そして旅の道中にあんな出会いがあるなんて
羨ましい限りです。