炎のいけにえ
プロット
イタリア
09月25日 1976 劇場で
恐怖のいけにえ
プロット
アメリカ
01月01日 1900 劇場で
悪魔がはらわたでいけにえで私
プロット
日本
02月23日 劇場で
箱の中の女 処女いけにえ
プロット
日本
09月07日 1985 劇場で
シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ
プロット
アメリカ
01月06日 2007 劇場で
かけがえのない人
プロット
アメリカ
08月22日 2015 劇場で
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悪魔のいけにえコメント(20)
まさに、頭をハンマーで殴りつけられた気分。
広漠としたテキサスを舞台にした理由無き惨劇。
この映画の素晴らしいところは、スプラッターに頼っていない事。
血みどろ、人体欠損表現は確かに見る者を恐怖に陥れるが、この映画はそれに全く依存していない。
にも関わらず、狂気、そして陰惨たるシチュエーションは少しも損なわれておらず、むしろ現実味を帯びて映像から滲み出してくる。
一切のBGMを排しての効果音のみによる演出も恐怖を際立たせている。
このフィルムが美術館に収蔵されたのは、至極当然。
これはアートだ。
万人に受け入れられるはずは無いが、確実に、鑑賞者の心に何かを刻む作品だ。
個人的に、フランクリンがヒッチハイカーに腕をきざむシーンがなんとも目をつむりたくなるほど、リアルでゾッとした。
これが74年で出てきたのだからすごいとしか言いようがない。
そこでふと、血がドバドバ出ない方がよりホラー映画としての現実味を帯びさせるのではないかとも思った。
あのシーンを観たとき、
ふと心理学のノーシーボ効果なるものと似た感覚が起こった。つまり映像表現の豊かさが今みている私の痛覚的なものにわずかにリンクしていたのだ。
このことからもこの映画の表現力のえぐさというのが今書きながらも想起される。
一方で、なぜこの評価になったかという敬意だが、
本来私はこの映画と「死霊のはらわた」と相互比較し鑑賞するつもりが、うっかり「悪魔のはらわた」を借りて観てしまったショックと、「悪魔のはらわた」もなんとも「悪魔のいけにえ」を観た後じゃあおかずにもならず、きなこ棒を渡されたような気分にさせられこの評価。
パニック映画の原点がここに!
覆面の大男にチェーンソーは鬼に金棒と同レベの組み合わせ。まさに無敵である。
寄り道の無いストーリー展開に全速力のパニック演出が襲いかかる。見る側ももう逃げられない恐怖。
ホラーの哲学と、もはや突き抜けた映像美が共存しスプラッターアートとしても楽しめる。
被害者となる若者たちの人間関係等の情報も、レザーフェイス一家の背景も最後まで全くわからない、こんなに情報の少ない映画もあまり無いと思うのですが、それにも関わらず、登場人物のキャラクターが薄っぺらになっていないのは見事ですよね。
今時の作品に比べるとスプラッタシーンは決して過激ではないですが、女性の表情や悲鳴を執拗に使っているので精神的にクルものがありますよね。
個人的にはあのラストも好きですが、“レザーフェイスがハンマーで男性を撲殺した後扉を閉める”あのシーンがお気に入りです(* ̄∇ ̄)ノ