フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブの主演で、人生の終焉を悟った主人公が、半生をともにしてきたアンティークを処分することで、彼女のこれまでの人生や本当に残したい思いが浮かび上がるヒューマンドラマ。ドヌーブと娘のキアラ・マストロヤンニが、劇中でも母娘役で共演する。近頃、意識や記憶がおぼろげになることが多いクレール。ある夏の朝、今日が人生最期と確信した彼女は、長年かけて集めてきたアンティークの人形や仕時計、肖像画などのコレクションをヤードセールで処分することを決め、庭先で売り始める。そんなクレールの奇妙な行動を耳にした娘のマルティーヌは、疎遠になっていた母のもとを訪れるが……。監督は「パパの木」「バベルの学校」のジュリー・ベルトゥチェリ。
アンティークの祝祭コメント(5)
「想いでの断捨離」・・認知症を患い現実なのか幻なのかも理解出来なくなってきた老婦人マダム・クレール
自らが収集したコレクションを処分する・・
それは家族の思い出や歴史・・クレールの人生そのものだろう
人生終幕を迎える時、本当に残しておきたい物が私自身にいくつあるだろうか?
世は断捨離ブームであれどもう少し「物」と「思い」の執着を続けたいな・・と
炎の中"舞う舞う"数々のアンティーク・・
ラストシーンはまさに「おフランス映画」なアート感が印象的でありました
実の娘キアラ・マストロヤンニとの共演も話題の1つではありますが
大女優カトリーヌ・ドヌーブの圧倒的な存在感と深い演技力は見応え充分!
体調を崩されたとの事でしたが
まだまだ、スクリーンを彩り続けていただきたい!!
どうぞ御自愛下さいませ😃
仕事の疲れも癒え、体調万全の中結構集中して観ることができたがあまりストーリー性はよくわからなかった。
でもどことなく自己投影しながら観ることができ見応えはある不思議な作品だった。
この作品で描かれているようにアイテムって思い出が詰まった大切なものであると同時に、時には悲しくトラウマが詰まったものである物もある。
今作ではその悲しく淡い思い出が詰まったアイテム、トラウマが詰まったアイテムとの向き合いを終始丁寧に描かれている。
主人公のクレールは死期を悟り家にある家具やらコレクションやらを全て売りさることになる。その際に数あるアイテムを目にし、手に取った際に過去の悲しく淡い思い出を一つ一つ思い出し最期を迎えることになる。
終始淡い思い出が描かれ続ける為観ているこちら側もどんよりした気持ちにはなるのだが、僕は自己投影し、自分のアイテムとその時の悲しい思い出に浸りながら鑑賞してしまった。その為か見応えはあった。
悲しい思い出はあまり振り返りたくないものであるが、こうして作品と一緒に振り返るのも悪くないと感じた。
カメラのフレームにその品々が映り込むだけで、なんとも言えぬ気品と拡張高さが香る。思えば、アンティークは味わい深い造形や芸術性を持つと同時に、一つ一つが主旋律とは違った“時の流れ”と“記憶”を持つ。とすれば、無数のアンティークに囲まれた部屋は、さながら時と記憶の迷宮のようなもの。カトリーヌ・ドヌーヴ演じるヒロインもまた、心の中で過去と現実を行きつ戻りつさせながら静かに毎日を重ねているわけで、こうして軽やかに同調していく語り口が心地よく胸に沁み渡る。
本作でもう一つ特徴的なのは、ありきたりなフラッシュバックを用いないという点だろう。両者の境目は極めて曖昧でシームレス。こういった記憶の混濁にうろたえることなく、常に堂々としているドヌーヴがまた素敵だ。幻想的なラストの受け止め方は様々だろうが、私にはまるでアンティークに仕掛けられたイリュージョンを目の当たりにするかのような祝祭的な感慨が広がった。
旦那を亡くし、娘は家を出て、独りで大きな邸宅に暮らす主人公が、思い出や思い入れがある筈の調度品をガレージセールにてタダ同然で売り払いまくり巻き起こる話。
痴呆により夢の様なものをみたり、記憶の混乱を頻繁に起こす主人公。
心配して駆けつけた娘とも会話が噛み合ったり噛み合わなかったり…。
痴呆で夢や思い出をみているのかと思ったら、あれ?娘も?いや、それ以外の人もと、単に家族や周辺人物等に昔何があったのか、過去の話をみせているだけなのね。
母娘の誤解やすれ違いを埋めて行く流れで、特にこれといった面白さはあまり無いし、終いには強烈なぶっ壊し。
いやー無理矢理締めたね。
30分位の話を無理矢理のばして薄味になってしまった感じかな。
愛らしくて仕方なかった。
ある一日の出来事と、アンティークに絡めた過去の思い出が描かれていることにより、
母と娘の関係性がすんなりと入ってきました。
すべてのシーンが大切に丁寧に描かれていて無駄がなく、
さらに、たくさんの素敵なアンティークたちに、ワクワクしました。
そして、このラストにはびっくりしたけれど、とても良い!
なんだか、不思議な大人の童話を観た気分です。