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ジョー プロット アメリカ 10月01日 1971 劇場で
アンクル・ジョー プロット アメリカ 09月22日 1979 劇場で
レモネード・ジョー プロット チェコスロバキア 08月28日 1993 劇場で
リーマン・ジョー! プロット アメリカ 11月16日 2002 劇場で
G.I.ジョー プロット アメリカ 08月07日 2009 劇場で
リトル・ダンサー プロット イギリス 01月27日 2001 劇場で
リトル・ジョーコメント(20)
B級ホラーの様なタイミングで流れてくる尺八の音に違和感。
日本的なアイテムもチラチラと目に入るが、やっぱり違和感。
いっそのこと、花からのアプローチが分かりやすい方が良いとか、完全にB級映画のカテゴリーで観てしまった。
エンドロールでやっとそれらしい音楽が流れてホッとするも束の間、尺八が融合されて来て最後まで違和感。
お土産用のポリエステル素材の着物をガウン代わりに着る外国人に似た違和感しか残らない。
幸せになる香りを放つ新種「リトル・ジョー」は、花粉によって人間の意識を操り、それを感染させていくのだが、感染したからといって、重病化したり死んだりするわけではない。
少しだけ微妙なラインで人間の性格や行動を支配していくだけ。だからこそ表面化しないで、静かに感染していき、価値観も自然に変化していくという恐ろしくても、恐ろしいこと自体に気づくことができないという、支配による真の恐ろしさを描いている。
私たちの考え方や行動が実は、「何か」によって作られているものかもしれない。
自分たちが創り出してしまった責任や罪悪感もありながら、創造を絶する新種を誕生させたという開発者としての達成感との間で揺れ動く主人公アリスの視点で描かれるが、彼女自身も次第に感染していくという救いのない展開となっていく。
全体的に静かなトーンで構成されている作品のため、BGMや何気ない演出がアクセントのように凄く目立つのだが、予告でも使用されている日本の作曲家・伊藤貞司による和テイストの音楽が「何か」が起こるときに決まって流れる。
それが2、3回ならいいが、さすがに毎回となるとしつこい!!歌舞伎や能を観ているわけじゃないんですよ...「いよ~」って言ってほしいのだろうか?
2014年の『嗤う分身』という作品では、ブルーコメッツなどの60年代を代表する日本昭和歌謡がサウンドトラックとして使用されていたが、物語にしっかり同化していたのに対して、今作は完全に分離してしまっていて、音楽や演出によって全体的な緊張感が台無しにされてしまっている。
発想やテイストは良いし、アート映画のような視覚的に楽しめる部分もたくさんある作品ではあるが、もう少し作品に演出や音楽を馴染ませてほしかった。
キャストの点では、主演のエミリー・ビーチャムの自然体な演技が物語にリアティを与えているし、『パフューム ある人殺しの物語』では、究極の香りの香水を求めていたベン・ウィショーが今回も別の香りを描いた作品に出演しているという点も興味深い
ベラ、ベロ、と来たら、いつベムが出てくるかと待ってしまった・・・
あるプラント会社では、幸せフェロモンを出す新種の植物を売り出そうと開発しています。遺伝子操作やら何やらを駆使して作り出したのですが・・・
発想は良いとして、全然科学的じゃないんです。研究室で異物混入に気を使ってる割には、全く違う種類を一緒に栽培して、温度と湿度は?花粉が混ざるのは良いのか?犬まで飼ってるし。
花粉の有毒性(?)の懸念が拭えないからマスク着用なのに、勝手に持ち帰ってプレゼントしてしまうし。
植物が環境に適応するのではなく、自分で環境を作ってしまう、というからどんな凄いことになってしまうのかと思ったら、自分の意思で味方を作り、邪魔者を排除してしまう、という話でした。ホラーという程ではないです。
演出が変な日本趣味(のつもり?)で、アート感覚でアジアンなものを取り入れたようですが、無い方がすっきりして良かったのに。尺八と笙のボリュームがうるさいし、日本人が聞くと、効果音が場面に合ってないと感じてしまいます。
話の”種”に、という人はどうぞ。