日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人 プロット

フィリピンと中国の太平洋戦争の残留者たちにスポットをあてたドキュメンタリー。太平洋戦争以前、フィリピンには3万人におよぶ日本人移民社会が存在し、戦後75年を過ぎた現在、敗戦を境に日本人の父親と生き別れたことから無国籍状態に置かれた残留日本人2世たちがいる。また、かつての満州国があった中国東北部でも、敗戦を機に子どもたちが置き去りにされた。戦後、日本に帰国した彼らは言葉の壁による差別や貧困に苦しみ、日本政府を訴える者たちもいた。2つの国の残留者たちと、彼らを救おうとする市民たちの活動を追うことで、日本という国の今を浮き彫りにする。ナレーションは元NHKアナウンサーの加賀美幸子。監督はテレビCMやテレビドキュメンタリー、プロモーション映像など幅広く手がけてきた小原浩靖で、これが劇場初監督作品。

日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人 俳優

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日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人コメント(4)

orswsn
orswsn
ポレポレ東中野にて小原浩靖監督の「日本人の忘れ物」を鑑賞。小さい頃、父と母から満蒙開拓団の話を聞いたことがあり(長野は日本で一番多くの開拓団を中国に送り込んだ - その多くは黒竜江省)、あらためてその実情を知ることとなった。フィリピンのことはあまり知らなかったのだが、戦争と国策に翻弄される在留邦人の救済に向けて奔走する弁護士と、なかなか進まない日本政府の対応がドキュメントされている。無知から知へ。映画を観ることで広がる世界の問題がある。国内順次巡回ロードショー。
kyuaux
kyuaux
お願いしちゃいました。
みんなに知って欲しい事実。
淡々と事実を刻む映画で脚色のない事実だけが目に飛び込んでくる。
エンディングソングが唯一映画って事を想い出させる感傷的な曲だった。咲け咲け、香れ香れ。。。
このフレーズ気づいた〜?
gsikppg
gsikppg
母国に見捨てられそうな人びとを、一つひとつ丁寧に希望するもとへと繋いでいく、そんな気の遠くなるようなプロジェクトを追いかける優れたドキュメンタリー。

太平洋戦争中に彼らを誘いこみ、そして見捨てたのは日本軍であり日本国政府ではないという行政や司法の論理。そうだとしても、「国民の保護は国の義務」であり、それが担保されないなら私たちは安心して海外に旅行に行くこともままならない。

一番の解決すべき課題は、「棄民」を行った日本政府の過去の責任を追求することではなく、問題に無関心な私たち自身の意識を変えていくこと。

対象の人たちはどんどん年をとっていくので、解決のための時間はあまり残されていない。
河合弁護士が何度も口にするように、決して問題そのものの「消滅」で終わらせてはならない。

本作であらためて実感したのは、ドキュメンタリー映画の「映像の力」。
映像の力で多くの人に問題をわかりやすく伝え、人の感情を動かし、行動をうながす。メディア、司法、政治を通して少しずつ小さな水紋を広げていく。
rwdcrs
rwdcrs
素晴らしいドキュメンタリー映画である。今回プロデューサーの河合弘之弁護士が監督した映画「日本と原発」を六本木シネマート(いまは閉館)の試写会で鑑賞した記憶がある。原発の再稼働反対の映画で、弁護士として法という側面からの戦いのドキュメンタリーであった。
本作品でも同じように法的な側面で、諸外国に残留した日本人の救済の問題の解決を図る。戦争という国家犯罪によって外国に置き去りにされた人々を、国家でなく民間人が救済している活動の報告である。

国家という共同体は常に流動的だ。学校で習う世界史では、たくさんの国家が成立と消滅を繰り返してきたことになっている。現在の国家も決して盤石ではなく、これから征服されたり統合されたりすることも無きにしもあらずだ。
第二次大戦後の世界は、戦争によって膨大な犠牲者を出したことの反省を基盤として、帝国主義を否定して国家間の紛争が武力衝突に結びつかないよう、人類全体が知恵を出したことで漸く安定している。経済的にはグローバリズムが浸透して、国家の枠組みを超えたビジネスが数多く誕生し、莫大な利益を生み出した。その結果、国家という枠組みは、地方自治体が担う行政サービスの元締め的な役割と危機管理及び社会問題のソリューションが主な目的となっている。
ところが最近になって、再びアイデンティティとしての国家という共同幻想が存在感を増してきていて、嫌韓とか反日といったレッテル貼りをする人々が多くなった。石原慎太郎のような精神性の人々である。本来は流動的である国家という概念を固定的な概念とし、本来は全く異なるはずの国家と国民とを同一視して、例えば中国史は殺し合いの歴史であったから中国人は人を殺すのを厭わない残虐な民族であるという言い方をする。こういう言い方は、日本で親族間の殺人事件が多く発生していることを理由に、日本人は全員人殺しであるという言い方と変わらない。つまり議論が不正確なのだ。
正確な議論をするためには、粘り強く考察する精神的なスタミナが必要だ。日本人はどうだとか、中国人はこうだといった言い方は、必ず不正確な断定となり、レッテル貼りとなる。思考停止の現れである。日中戦争や太平洋戦争当時の日本では、中国人をチャンコロ、欧米人を鬼畜米英などと呼び、個人個人に個性や考え方の違いがあることを無視して、国家という大枠でその国民を断じていた。戦争という短絡的な結論に至るためには思考停止が必要であり、実情を無視した断定が必要となるのだ。
最近の世の中には、こうした思考停止や根拠のない断定が多く見かけられる。そういう精神性は戦争をする精神性である。戦後のヒューマニズムは国家ではなく個人に焦点を当ててその人格を重んじることにあったのに、21世紀になってから個人を無視して国家と国民を同列に断じる議論が増えていることは、悲劇の到来を予感させる恐ろしい現象である。

本作品は国家という共同体に属することで受けられる法律的な恩恵について改めて知らしめてくれる。そして国家が犯した戦争という犯罪の犠牲者となった人々が未だに数多く存在していて、彼らにとっては戦後はまだ終わっていないのだという事実も教えてくれる。
フィリピンの残留日本人、中国の残留孤児。いずれも戦争の犠牲者である。彼らを救わなければならないのは本来は戦争犯罪を犯した日本という国家である。その国民である我々は過去の日本人が犯した過ちを反省し、自らの税金を使って、その後始末をする義務がある。しかしそれを実践しているのが行政組織としての国家ではなく、民間団体だというところに問題があるのだ。本来は国の行政サービスの一環として実践しなければならないソリューションの筈だ。

人は人を差別する。言語や文化の違いで差別し、出自や血統で差別する。フィリピンの残留日本人や中国残留孤児は、現地にあっては出自や血統で差別され、日本に来ては言語や文化の違いで差別される。差別する側は、異質なものを危険とみなし、自分たちの安全や権利を守ろうとするのかもしれない。親しんだもの=善で、未知のもの=悪という単純な精神性だが、単純だけに容易にはなくせない。
グローバリズムが進んで文化交流も盛んになり、東京にいれば世界中の料理が食べられる。タイ料理が好きな人は身の回りにもたくさんいる。しかしタイ人が好きだという話はあまり聞かない。タイ料理は馴染みがあるが、タイ人には馴染みがないからだ。それでも積極的にタイと交流した人の中にはタイ人と結婚する人もいるだろう。属する国家とは無関係に個人を受け入れることが文化面でのグローバリズムである。それには寛容な心が必要だ。

本作品は個人が人間らしく生きる権利を守ろうとする人々の話である。国家などなければそれに越したことはないが、国家が個人のアイデンティティを保証するシステムになっている以上、そのシステムを利用するしかない。そのシステムがすなわち法である。法によって人権を蹂躙してきた日本が、戦後の反省を礎にして、今度は法によって人権を守らなければならない。しかし現在の権力はそれを十分に行なっているとは言えない。河合弁護士の戦いはこれからも続くだろう。御年76歳。健康に気をつけてこれからも頑張ってください。