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剣の舞 我が心の旋律コメント(3)
誰もがどこかしらで耳にした事がある「剣の舞」の完成直前を実話ベースで映画化された作品。
少し期待が大き過ぎた事もあってかあまり魅力のある作品に感じることはできず退屈の時間となった。
剣の舞やアラム・ハチャトゥリアンを知っている以上にもっと当時のロシアの情勢を知った上で鑑賞するとまた違った見方になったかもしれない。その点は自分の知識不足を痛感した。
良くも悪くも万人受けするような作品ではない為、合わないと中々退屈であった。
ドタバタ劇ではあるんだけど、落ち着いた流れだから、そんな感じは一切しない。
この作品の目的は?と思いながら観てたけど、作曲者の事知らないから最後に、ああ聴いた事あるって。
そうだよな、知ってりゃ券買う時に、けんのまい、って言ったりしない。
つるぎのまい、って言われた時は、光GENJIかよって思ったくらい。
普通に起承転結のストーリーにすれば主人公に生い立ちも含めて感情移入できただろうと思うし、剣の舞の作曲と初演奏に向けて盛り上がった筈だ。過去と現在の行ったり来たりが判りづらく、ひねり過ぎの感がある。
演出家は音楽の経験がないのか、俳優が演奏するシーンで違和感があった。一流の演奏家は演奏する姿も美しい。プロゴルファーのスイングが美しかったり、プロテニスプレイヤーがどんな態勢でも基本のフォームで打ち返すのと同じである。ショスタコーヴィチはバイオリンを上手に弾くことは出来なかったとは思うが、それでもあれほど不格好にヴィオラを演奏することはない。ハチャトリアンのチェロ演奏もぎこちなさ満載で、このシーンは本当にがっかりした。
好意的に解釈すれば本作品は次のようにも受け取れる。
アルメニア出身のハチャトリアンは幼い頃に母から豊かな愛情を受けて育ったので、温厚で慈悲深い人格者となった。思索するのに言葉ではなく音で考えると言うほど音楽にのめり込んでいる。作曲は楽器を使わず頭の中に響く音を直接楽譜に載せる。列車の音は彼にとって別れの音だし、父の思い出は親しみのある声とともに彼の心のなかに生きている。
ふるさとの美しい山々はそれ自体が音楽であり懐かしい拠り所だ。出身地であるアルメニアとアルメニア人の受けた迫害を忘れずに曲のテーマにしていきたいと思っている。剣の舞は戦争を鼓舞するのではなく、悲しみの舞だったのだ。一方で愛国者には理解を示し、出征する兵士に無理をしてバレエを見せる。流石に踊りのシーンはとても美しいが、兵士たちの頭の中には早くも戦場の残忍な音が響き始めている。
ハチャトリアンは人々が悪意を傍観することがファシズムを生んだと考えており、その洞察力は政治から人間関係にまで及ぶ。サックス吹きの悲劇は政権の威を借りた小役人プシュコフの悪知恵によるものだ。プシュコフはかつて主人公とともに音楽を学んだ仲だが、アルメニアの悲劇を軽んじる彼にハチャトリアンは一度だけ怒りを爆発させたことがある。音楽の才がなかったプシュコフはその後権力の側に立ってハチャトリアンの前に登場した。復讐だろうか。
プシュコフが公演を許可しなければ劇団の存続にも影響があり、プリマのサーシャは憎むべき小役人の慰みものとなる。権力を笠に着てスターリニズムを大義名分にやりたい放題のプシュコフに不快感を感じながらも、主人公にできることは作曲をすることだけだ。そしてハチャトリアンは公演を成功させるために渾身の曲を書き上げる。偉大な曲の前ではプシュコフなど、躓きさえしない小石のような存在に過ぎなかったのだ。
という訳で、もともとドラマチックなハチャトリアンの人生だから素直に演出して素直に編集すれば感動的な作品になった気がする。ガイーヌの上演は最大のクライマックスだから、もうちょっと盛り上げ方を工夫できたはずだ。「バラの娘」と被るのを避けたのかもしれないが、剣の舞の曲があるとないとでバレエ団の雰囲気はガラッと変わるはずだから、同じようなシーンを繰り返してもよかった。世界的な評価よりもハチャトリアンの周囲がどのように変わったのかが、観客にとって何よりも気になるところなのである。本作品はサーシャのその後や振付師との確執のその後などがちっとも描かれず、尻切れトンボ感は否めない。え、終わり?という感じで映画が終わったのは久しぶりだ。必要なシーンが決定的に不足している作品だった。