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日本・中国合作
04月19日 劇場で
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日本
02月16日 劇場で
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日本
02月17日 劇場で
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日本
04月12日 劇場で
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韓国
02月23日 劇場で
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アメリカ
03月22日 劇場で
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デンマーク・アイスランド・フランス・スウェーデン合作
03月30日 劇場で
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日本
03月23日 劇場で
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韓国
02月16日 劇場で
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カナダ・クロアチア・ハンガリー合作
04月05日 劇場で
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日本
03月29日 劇場で
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アメリカ・ブルガリア・ギリシャ合作
03月22日 劇場で
映画女優コメント(5)
おそらく、関係者全員がその期待を、自分自身にではなく、自分以外の者に寄せてしまったことによる、この出来栄えではなかろうか。
吉永小百合が、アイドル路線から本格女優へと方向転換してからの作品で印象に残るものは「天国の駅」と「動乱」だけである。
何故だろう、この大女優の作品で心に残るものが少ないのは。もちろん、吉永の責任ではあるまい。
なぜなら、この作品でも田中絹代の、用心深いが故の慎み深さと映画に出演する仕事のことしか頭にない狂気とをしっかりと演じ分け、観客に対して、田中の外面と内面との相克を表現していたではないか。
しかし、一方で清水宏(「清光宏」)との新婚生活での床のシーンでは、寒気すら感じる空々しいキスが繰り広げられる。
市川崑は、このようなキスシーンを求めたのだろうか。被写体が例えば岸惠子だとしたら、これと同じようなキスでOKを出しただろうか。
物語の導入部分に関しても酷い脚本だ。
常田富士夫のセリフが一本調子の説明調で、画面の構図は硬直死している。誰も動かない。ならばいっそナレーションでも良かったのだ。石坂浩二あたりに、東京に出てくるまでの田中家と当時の映画会社について解説をさせたほうがよっぽど気が利いている。
菅原文太の溝口健二(「溝内健二」)も、偉そうな感じだけで、危ない意味で何を考えているのか分からない男だ。
第一、小津安二郎以外の監督の名が全て変えられていることが不自然だ。恋多き女としての一面も描く上で、小津を除いた監督と色恋の関係があるように描いたから遠慮したのだろうか。でも城戸四郎(「城都四郎」)とは何もなかったように描かれているから、理由は他にあるのだろう。
1987年 2月9日 郡山東宝
サユリストの私には、小百合様自身をモデルにした作品にして欲しかった。しかし、小百合様の代表作とはなんだろう?ちょっと考えてしまう。
渡辺徹の太さだけが印象に残る前半。後半の文ちゃんとの共演でやっと作品として成り立ったかな、そんな感じ。今作も小百合様の代表作とはなり得ず、「吉永小百合99本記念映画」のテロップが悲しい。
でも私の好きな田中絹代の雰囲気はさすがに出てないかな?